2010年5月2日日曜日

香港の人々

香港の人々

中国ラオスの辺境どさまわりに慣れきっていた後の香港にはいやぁ、驚いた。
インフラは万全だし、レストラン、バーなどあらゆる類の食べ物があるし、ブランドショップがわんさか入ったデパートが腐るほどあるし、物価がいちいちバカ高いし、、、居心地が東京に似ているんだもの。
たまに東京にいるような錯覚をおぼえてつい口から日本語がでてしまったりする。
街で人にぶつかったとき、「あごめんなさい」とか、店員を呼ぶときつい「すぅぃませ~ん」とか言ってもーたりして。

けっこうなキャストのクラシックのコンサートがちょいちょい開かれているっていうのもなんかホッとする感じです。もちろん内容の幅広さと深さにおいては東京には及びもつかないけども。

中国・ラオスの長時間移動のバス車中で、やたらにやかましい乗客たちに対向するべく、なるべくけたたましくノリノリなものを、という選曲で、ずーっと聴きこんでいた(air pianoで)チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番が、ちょうど偶然にも香港到着の翌日に地元のオケによって演奏されるということで、さっそく出かけたのだけど、演奏前あのチューニング、A~~~、を聞いただけでもうそれだけであたしゃ感動で泣きそうになったよ。すーーーっげー久しぶりに生音聞いたからなあ。

ソリストは1990年だかのチャイコフスキーコンクールの覇者でロシアンピアニズムバリバリのなんとかっていう人で、ものすごいテクニックでかなりおもしろかった。
指揮は小柄な若手の香港人。28歳にして世界中のあちこちのオケを振っている天才のようです。


さて香港では重慶大厦(ちょんきんまんしょん)というところに滞在していたのだけど、この宿がすごいおもしろくて、東京並に宿泊代がお高い香港における奇跡の砦のようなところなのだ。
街のど真ん中、しかも香港における名門中の名門ホテル、ペニンシュラの向かいに立つビルなのだけど、このビルの中に、何百という安宿がより集まっているという、何がどうなってそうなってるんだかさっぱりワケの分からん空間である。
インド、アフリカ、中東系ピープルのコミュニティにもなっていてり、もちろん各種アジア人もぞろぞろ、欧米のバックパッカーもうようよ、、、というようなだいぶものすごい勢いでケイオスな空間。
いかがわしいお店や怪しいお店(同義かw)、おいしいインド料理店もいくつも入っていて、宿泊目的以外で地元の香港人もやってくる、香港の名所でもあります。

私が滞在したのは、15階のとあるゲストハウス。
貫禄たっぷりの女ボスはいろいろ細かく気配りしてくれるし、スタッフのおねぇちゃん(リサ)はぶっきらぼうだけど掃除も丁寧、客の要望にはめんどくさそうな顔をしながらも結局きっちり付き合ってくれる。
部屋はとーーっても狭いのだけど、その狭さが幸いして、旅始まって以来、毎晩非常によく眠れました。
じつは私、どこにいっても、暗闇やドアの向こうや鏡の中やカーテンの裏などの物陰に潜む魑魅魍魎がおそろしくって、知らない場所で一人ではよく眠れないたちなのぉっほっほ(だからどこに行っても明かりはつけたままで就寝)。
その点、重慶大厦の部屋は狭すぎて物陰といえるようなものがほとんど無いわけであるからして、安心して毎日ぐぅぐぅ眠ることができました(でもやっぱり明かりはつけたまま(笑))。

安くて居心地の良い上層階に位置するこの宿はなんだか長期滞在者(何ヶ月もいてるのよ)が多くて、彼らと女ボス、リサ、とのやり取りを見るに、どうも宿というよりも学生寮(だいぶ老けた学生たちだが)もしくは長屋、という感じのあったかい雰囲気。

そんな以下重慶の住人達↓(ラオスで実はデジカメを無くしてしまって相変わらずぐでぐでなiPhone写真ですいません)

これはへんちくりんな英語がもの真似しやすいフィリピン人のおっちゃん。マニラで骨董屋経営。部屋の掃除をさせないので、リサを悩ましている。あまりにフォトジェニックな散らかしっぷりに脱帽。
いっつもコーヒーをお裾分けしてくれる。


こちらがリサ。友達の谷戸君にソックリなのでぜひとも撮影しておきたかったのだがとっさに防御された。顔隠したってアンタ、パンツみえてんだからね!と言ったらパンツはノープロブレム!だそうなよ。


スロ~~~な話しっぷりがなんだか体のデカさとぴったりマッチしたタンザニア人。「タンザニアっつったら、ンゴロンゴロ国立公園じゃん!あたし行きたいんだよねぇ~」「え、ほんと?ンゴロンゴロ超いいよ~、マジオススメ~」とかなんだとかそんな具合で現地人による貴重なタンザニアおすすめ情報をいくつかいただいた。行きたい!タンザニア。


ジャック・ニコルソン(シャイニング)、というアドリブ芸が、イッちゃってる感じにうまく決まったRoom1に暮らすこちらの方は大竹君。タイ人だろう、と思ったら日本人だった。
38か9ぐらいだろう、と思ったらタメだった(笑)。
海運業関係従事。中国も合わせるともうこっちに10年近く住んでいるそうなよ。
「アタシ日本やだー」が口癖。
妙に落ち着いた物腰かつ噺家のような口ぶりなので、やっぱり同世代男子とは思えない御仁。

しかし実は日々いかにうまいこと荷物積むか頭痛を抱えながらエクセルと格闘しつつ、お客の接待にあけくれる、実務も営業もこなす働き者サラリーマンなのである。
なりはどうみても普通のリーマン氏が毎朝重慶大厦から出社し、深夜重慶大厦に帰ってくる、だなんて、相当にエキセントリックな画だと思われるがそれもまた重慶のケイオスの一部ですね。

しかしご飯を食べに連れていってくれる時は、メニューをはじからはじまできっちり時間をかけてひとつひとつ日本語訳してくれるというような丁寧なお人柄でもって、お仕事でお忙しい合間に私に香港ライフを事細かに指導してくれたそんな大竹君は、私の香港の兄、というか母、というかどっちかというとお姉ちゃん、という感じが一番近い(笑)。


重慶外観。

ワンフロアのごく一部のブロックにこれだけたくさんの宿がわしゃわしゃっと。香港にお越しの際はペニンシュラももちろん結構ですが、重慶大厦もエキサイティングでおもしろいので1泊くらいはぜひお試しくださいませ!いや、泊まらなくてもせめてインドデリ屋のテイクアウトサモサはお試しくださいませ。


さて香港でもう一つ素敵な思い出は、例の「知人の知人テク」で香港の最後の夜に私をご飯に連れていってくれた、友人涼子ちゃんのその友人の、ゆきこさんと香港人のJohnさん。こちら。
フランスの投資銀行の香港支社にお勤めっちゅう超絶カッチョイイゆきこさんのようなお方はどう考えても私と同じ歳とも同じ人種とも思えない畏れ多い女子であるのだが、酒好き、という共通点を見出してなんとなく少しほっとしてしまった。あはは。長いこと異国で一人キャリアを築きゆく乙女の心は私の想像の及びもつかないことではあるけれど、どうぞお身体壊されぬよう、お休みしたくなったらどうぞ私のアフリカ旅行あたりにジョインしてくださるよう、なぞという感じでそーっとエールを送り続けたい私であった。

その夜はゆきこさんのお友達のJohnさんにまるっとすっかりごちそうになったわけなのだけど、近現代中国史の縮図のような複雑な背景をもつJohnさんは投資ファンド?(つーかそういうのよくわかんないんだが)をやっているそうでたぶん唸るほどの超超超お金持ちなわけなんだが、日本語もペラッペラで、穏やかな語り口の中に中国の果てしない奥深さが潜んでいるような感じの人。
街を離れた閑静なシーサイドにあるラグジュアリーでエグゼクティブでインクレディボーなレストランやらバーやらに連れてってもらって、やべー香港すげー、ヤベーよすげーよ、うんうん、、なんて終始感嘆しまくりの一夜であった(いちおうポーカーフェイスに振舞っていたつもりではあるがw)。

重慶大厦に戻ったらあんまりにもホッとして喉が渇いたもんだからまた大竹君をたたきおこして近所のパブにビール飲みにいってしまったじゃんか。

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